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「山×歴史」で地域の魅力を引き出す達人 大内征さんインタビュー【第1回】

2017/05/31

低山トラベラー 大内 征さん 第1回(全2回)

今回のゲストは低山トラベラーの大内征さん。低山ハイクと歴史探訪を組み合わせた独自の筋立てで各地の山の面白さをメディア発信し、参画する地域プロジェクトにその視点を活かしています。大手企業の課題解決に取り組むマーケティング会社でプロデューサーとしてのキャリアを持ちながらも、あえて“個人”となって地域活性の領域に挑戦している大内さんに、その想いを熱く語っていただきました。

「低山トラベラー」の肩書きに込めた想い


——まず、今の低山トラベラーという活動を始めるきかっけとなったことを教えていただけますか。

大内「30代前半でしょうか、東北新幹線で仙台の実家に帰るときに、奥羽山脈の山々を車窓から眺めていました。那須とか会津とかのたおやかな山々が連なっていて、白い雪をバーッと被っているわけです。それをきっかけに『こういう風景を見ながら育ったんだよなぁ』と、自分の原風景を思い返すようになりました。

その頃はすでに歴史小説をすごく読むようになっていて、昔のことが連続的に今の時代に繋がっているという歴史観が自分の中にできていました。アナログとデジタルとか、プライベートとビジネスとか、都会と自然みたいなことも、二項対立ではなく全てが連続的で“対”となるものであるという感覚です。そうしたものをまるっと受け入れながら働くことはできないかなって、思い始めるようになっていきました。


そんな中で、田舎育ちの原体験を山や自然に求め、そこにある歴史物語と結びつけた山旅のスタイルを編みだしていったわけです。もともと歴史散策や旅好きだということも手伝って、知的好奇心を山に求めたんですね。ですから、「登山をしている」という感覚ではなく、日本の歴史を、地域の文化を山を通じて学んでいる感覚です。 そしてその積み重ねが糧となって、あちこちで山の話をしたり、地域活動をする際に役立てたりするという、現在の生業のスタイルになりました」

——震災も大きな転機になったのでしょうか。

大内「2011年の大震災が起こったのは38歳のとき。両親や仲の良い友人は無事でしたが、故郷の仙台ではいろんなことが起こっていました。そして、そこに様々な課題が降りかかっていることを目の当たりにします。当時の僕は恵比寿のオフィスでマーケティングの仕事をしながら、自由大学で被災地体験プロジェクトに取り組んでいました。

クライアントの課題を黒子になって解決するというミッションにやりがいを感じていましたが、震災を機に、小さくても自分という属人の問いや思いをストレートに活動に結びつけられないかと考えるようになりました。目の前の人が笑うとか驚くとか、『こういうのが好きなんだ!』って素直に喜んでくれるとか。そういうダイレクトな反応がすごく面白くなってきて。その先に、人生のいろいろなことを分断せず、生活のさまざまなことが連続的につながった働き方というものが見えてきた気がしたんです。

折しもその当時は、個人で情報発信ができるソーシャルメディアが浸透しはじめていた時代でした。それまで企業のメディアをプロデュースするような仕事をしていましたが、組織的な背景や専門的なITの技術を持たなくても情報発信することができる環境が整いつつあったことも、“個人”で取り組む際の後押しのひとつになった気がします。」

——いまは普通になっている個人の情報発信ですが、当時はどういう考えで使っていたのでしょう。

大内「震災のころは、Twitterを利用していました。不特定多数の人に自分の意見を発信する環境があって、しかも相手の情報や意見も手に入る。Facebookを始めたのもこの頃です。オンラインの中のコミュニケーションから、オフラインでの社会性も芽生え始めた。

テクノロジーって考えると、目に見えない部分のテクニック的なことに寄っちゃいますけど、僕はリアルにおける行いが大事だと思っています。特にFacebookでの振る舞いは、オフラインでもその人の個性となって表れていると思うんです。自分のやっていることを丁寧に発信していると、実際に会いに来てくれるとか、なにか相談してくれるとか、そういうことが起こるんじゃないかなって期待もありました。

そこから6年7年と時代が経って、結果的にそれは正しかったと思います。ソーシャルメディアをいい加減に使っていたら、自分のいまの活動は生まれてないと思うので」

——それらが低山トラベラーの原点なんですね。

大内「今の僕の仕事は、オンラインコミュニケーションから始まることもわりとありますね。例えば地方で山の講演をすると、その地域の役場の人がいたりして、名刺交換するとFacebookで友達申請が来たりします。以降、僕がいつも通りにいろいろ発信し続けていると、それを見てくれていて『うちの地域にもこういう山があるんだけど、ちょっと相談に乗ってくれないか』と。

日ごろから自分の素直な言葉で、自分が体験したとことをきちんと表現していると、それまで積み重ねてきた実世界での行動や言動を、いろんな人にわかってもらえる。SNSは、そうしたことの助けになっています」

地域の物語を可視化する「手書き地図」


——大内さんの代表的な活動に「手書き地図推進委員会」があります。これはどんな意味や目的があるのですか。

大内「手書き地図推進委員会では、地域の目に見えない物語とか地元のウワサを可視化する、というお手伝いをしています。 地方に行くと、みんな誇れるものは特にないって言うんです。うちの町にはなにもないって。でも『あなたの町に面白いものありますか?』ではなく、『子どものころの思い出を話してください』っていう聞き方だと、あれこれと語ってくれますね

例えばここに秘密基地を作ったとか、お釣りを間違う駄菓子屋さんがあるだとか、食べるとおしっこが黄色くなるラーメン屋がある(そうやって地元で愛されているお店)とか、そういういわゆる地元のあるある話で『ないない』が『あるある』に変わっていくんですね。この時点ですでに地図の半分は出来上がっています。絵を描くことが地図作り、ではないんです」

——プロセスも含めた地図づくりなんですね。

大内「スペックより物語というか。その地域、もっと細かくいうと個人の物語の集まり。思い出やエピソードをどんどん出してもらって、自分も話せるネタを増やしてもらう。お爺ちゃんから『あそこの木には精霊が宿っている』ってずっと教わって育ってきたとか、本当かどうかはわからないけど諸説有りでOKとすると、面白い地域伝承がどんどん出てきます。

とはいえ、ここで出た情報を精査して事実確認できたものだけ載せましょうとなると、これまで作成したガイドブックと、なにも変わらなくなっていく。そうではなく、住民主導で『噂もあり』のガイドブックを作るほうが断然面白くて、個性あふれるツールになります

手書き地図推進委員会では、僕らが地図を作るわけではありません。地元の人が自ら参加して地域の魅力を再発見してもらう活動です。そのために、各地で見聞きして蓄積してきた事例やノウハウとモチベーションを惜しみなく提供します。成果として地図も残りますし、とても効果的な取り組みだと考えています」

第2回に続きます

大内征 loca-rise production 代表/低山トラベラー

宮城県出身。地域の歴史や伝承を辿りながら山を歩き、日本のローカルの魅力を探究。足で覚えた山旅の愉しみ方を筋立てて、言葉と写真で伝えている。メディア出演や文筆、講座やワークショップの講師を通して、ピークハントにとらわれない新しい登山スタイルを提唱。登山や暮らしをテーマにした各地の団体・自治体の取り組みにも参画するなど、これまでにない“山×歴史×ソーシャル”の活動領域を切り拓いている。NHKラジオ深夜便「旅の達人~低い山を目指せ!」レギュラー、自由大学「東京・日帰り登山ライフ」教授、手書き地図推進委員会研究員。著書に『低山トラベル』(二見書房)。山岳雑誌・岳人で「歴史の山旅」を好評連載中。

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この記事の著者

Locomedian編集部

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